根岸競馬場開設150周年&馬事文化財団40周年記念

横浜と馬、競馬の歴史

馬車文化の伝来

都市を結ぶ新たな交通手段として活躍

横浜吉田橋通繁昌之図 二代歌川国輝
1870年(明治3)馬の博物館 蔵

開港に合わせ、幕府は横浜と東海道を結ぶ「横浜道」の造成を行い、横浜と江戸(京浜間)を直結させました。京浜間では、蒸気船や蒸汽車などの新たな交通手段が続々と登場・実用化されましたが、馬車は陸上交通で最初に登場した近代的な交通手段でした。開港直後から、居留地では外国人が個人所有する馬車が持ち込まれましたが、坂道や太鼓橋がある横浜道は馬車の通行に不向きであったため、横浜での馬車利用は限定されていました。また、幕府が営業用馬車の東海道での通行を認めていなかったため、一般の日本人が利用することはありませんでした。

しかし、1867年(慶応3) に横浜道に沿って沿岸部に拡張整備された道路によって、これまでの状況が一変しました。その道路は従来に比べ、平坦で道路が広くなり、現在の路線バスに相当する「乗合馬車」の発着所が設けられ、居留外国人たちの馬車が行き交うようになりました。現在「馬車道通り」として、その名残をとどめています。

一方、京浜間における最初の乗合馬車が登場したのは1869年 (明治2)でした。ランガン商会が、馬車道から吉田橋を経由して築地居留地(現在の東京都中央区明石町付近)を結ぶ 路線を開設して営業を開始した他、日本人の経営による初の乗合馬車会社「成駒屋(なりこまや)」が創業するなど、1日に100人程度の人々が東京と横浜を馬車で往復できるようになりました。

東京横浜鉄道往返之図 三代歌川広重 1873年(明治6) 馬の博物館蔵

鉄道馬車模型 馬の博物館蔵
道路に敷かれたレール上に客車を走らせ、乗り心地の改善や輸送カを向上させた馬車です。
1882年(明治15)に東京馬車鉄道会社が初めて新橋-日本橋間の運行を開始しました。

横浜と馬、競馬の歴史

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