根岸競馬場開設150周年&馬事文化財団40周年記念

「ハイカラケイバを初めて候(そうろう)」コラム②

今も現存する旧根岸競馬場一等馬見所

皆様が馬の博物館を訪れ、隣接する根岸森林公園を見渡すと、3つの塔が目立つ建物が視界に入ってくることと思います。

この建築物が、旧根岸競馬場一等馬見所(いっとううまみしょ)です。今回はこのスタンドについて解説します。

設計者はJ.H.モーガン(Jay Herbert Morgan)という人物で、現在横浜山手の外国人墓地に眠っています。モーガンは、当時アメリカ最大の建築施工会社フラー社の主任建築士として、東京の丸の内ビル建設のため1920年(大正9)に来日しました。2年後、丸ビルが完成すると、フラー社を退職して、日本郵船ビル内に彼の建築事務所を立ち上げました。

一方、1923年(大正12)、関東大震災で被害を受けた根岸競馬場は、翌年春季からバラック小屋にて開催を再開したものの、半壊した木造3階建てに代わる新スタンドは急務でした。以前のスタンドは、木造の箱形建物の前面に、わずかな階段状の観客席をつけたものが主流で、収容人数は限られていました。また観客席には多数の柱が立ち、レースの大事な場面が見づらかったのです。そこでアイザックス場長は、モーガンに耐震性に強く、仕様は格調高く、左右のコーナーを楽に見ることのできる、機能的に優れた馬見所という条件を要望しました。モーガンは、関東大震災の経験から、屋根に重量をかけない構造を提案し、建物内部の支柱を減らすことに成功しました。このため、観覧席からは、コース全体までよく見渡せるようになりました。新スタンドは、アイザックスの豊富な競馬経験から生み出された細かな指針と、モーガンの緻密な設計力が結晶した産物となりました。

1929年(昭和4)5月19日、日本レース倶楽部は春季競馬終了直後、一、二等館改築に着手し、鉄骨鉄筋コンクリート製のスタンドを新築。11月2日から八割程完成した東洋一の新スタンドで競馬を開催しました。一等馬見所の最上階中央には貴賓室が置かれ、室内はゆったりとした和洋風で、高い格子天井には、一つ一つに格調高く鳳凰が描かれました。翌年には二等スタンドが竣工し、以後、全国の競馬場のモデルとして採用されるようになったのです。1932年(昭和7)、ガラス張り天蓋庇(ひさし)が増設されました。庇を大きくせり出すことで、前面の壁を取り払い、建物をオープンな状態にしました。この斬新なデザインによって、より広い空間を観覧席にすることが可能になりました。1934年(同9)には、激増する二等スタンド入場者対策として増築を行い、在来の面積の2倍に拡張しました。

戦後、日本に返還されると日本建築学会は、「貴重な歴史的文化遺産」として横浜市に保存を申し入れました。2009年(平成21)には、経済産業省が旧根岸競馬場を「近代化産業遺産」に指定しました。2015年(同27)11月には、NPO法人「引退馬協会」と同「歴史的建造物とまちづくりの会」が文化財として保存活用するよう求める要望書を共同で横浜市に提出しています。

なお、2007年(平成19)3月に竣工した「東京競馬場フジビュースタンド」には、根岸競馬場一等スタンドのデザインを一部採用し、その意匠を継承しています。

旧根岸競馬場新スタンド等の施設概要 1937年(昭和12)12月

収 容 人 数
:一等馬見所は4500人 二等馬見所:6000人
 増築後は12000人)
スタンド総工費
:40万円(昭和5年竣工当時)
施 工 者
:大倉土木株式会社(現大成建設株式会社)
 増築部分 大倉土木株式会社・野本組

○ 地上7階、地下1階(28.77m)、塔屋1階、エレベータ3基
  のべ面積7700㎡

条 件
:1等は洋装和装を問わず正装でないと入れない
入 場 料
:一等5円、二等2円
勝 馬 投 票 所
:投票券発売窓数 一等70窓 二等70窓
:払戻窓数 一等28窓 二等35窓
厩 舎 地 区
:25棟、収容頭数596頭
二等スタンド斜め正面から

二等スタンド斜め正面から

二等スタンド斜め背面から

二等スタンド斜め背面から

写真:根岸競馬場スタンド写真 二等スタンド増築後(昭和10年頃)
出典:「日本建築士 第22号第5号」1938年(昭和13)

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