2017年6月2日

国際アンデルセン賞受賞・文化功労者  安野(あんの) 光雅(みつまさ) 氏が描く“ 名馬面(めいばめん)

馬の博物館では、本年の開館40周年を記念し、春季特別展「安野光雅の世界-歴史絵本に描かれた“ 名馬面 めいばめん ”-」を開催いたしました。

安野光雅氏は、1984年(昭和59)に国際アンデルセン賞、2012年(平成24)に文化功労者を受章された、世界的に活躍されている画家・絵本作家・装丁家・エッセイストです。 

本展は、安野氏の代表作のなかで、多数の馬が登場する壮大な歴史絵本『繪本 平家物語』『繪本 三國志』、そして、馬に乗った旅人がさまざまな国や地域を旅する『旅の絵本』の3シリーズから50点の名場面(原画)を厳選し、展示いたしました。

本稿では、改めて展覧会の柱となった各絵本の解説と主要3作品を紹介いたします。

繪本 えほん 平家物語 へいけものがたり 』 1996年(平成8) 講談社

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」に始まる「平家物語」は、平家の栄華と没落を伝え、後世、能や浄瑠璃・歌舞伎などの題材として取り上げられた、わが国を代表する古典の一つとして知られています。

本書は、講談社の月刊PR誌「本」において、1989年(平成元)から1995年(同7)まで連載された作品を軸として、連載終了後の1996年(同8)に安野氏が新たに書き下ろした文章とともに出版されました。7年の歳月をかけた 絹本 けんぽん 画79作品を収めた大作で、本展では18作品に加え、下絵6点を紹介いたしました。

那須与一
『繪本 平家物語』
津和野町立安野光雅美術館蔵 ©空想工房

作品解説①  那須与一 なすのよいち

平家物語(巻十一)において、1185年(元暦2)の屋島の合戦で船上の扇の的を見事に射て名声を挙げた源氏方の若武者・那須与一を描いた作品です。この絵について、安野氏は『繪本 平家物語』のあとがきで、次のように説明をしています。

 わたしは、与一が、気を静めようとして、むしろ呆然と彼方の扇を見ているところを描いた。

那須与一といえば、矢をつがえた弓を引きしぼり、扇の的に狙いを定めている、もしくは矢を放ち扇を射た直後の図が通例ですが、安野氏は矢を射る前、馬上での静かな与一を描いているのが、他の作品と異なる特徴といえます。

繪本 えほん 三國志 さんごくし 』  2008年(平成20) 朝日新聞出版

古代中国における、 しょく の三国時代の歴史書「三国志」。日本に伝わった当初は武家の教養とされ、やがて絵画などの題材として用いられました。江戸時代以降庶民に広まり、今日まで小説や漫画、映像など、さまざまな文芸で紹介され人々を魅了しています。

本書は、安野氏が2004年(平成16)から4年間にわたる中国取材を通じて、実際に三国志の舞台を訪れ、現地での写生と構想によって制作された93作品で構成されています。さらに、中国製の絹本を用い、筆や墨、絵の具なども現地のもので描かれた渾身の一冊で、本展では18作品を紹介いたしました。

張飛当千―湖北・襄樊―
『繪本 三國志』
津和野町立安野光雅美術館蔵 ©空想工房

作品解説②  張飛当千 ちょうひとうせん 湖北 こほく 襄樊 じょうはん

蜀を築いた英雄・ 劉備 りゅうび に仕え、幾多の戦いで活躍した猛将・張飛を描いた作品です。

208年、 荊州 けいしゅう へと南下侵攻する 曹操 そうそう 軍から逃れるべく、劉備軍は彼を慕う荊州の民とともに逃走を開始します。ここで劉備軍の 殿 しんがり を務めたのが張飛でした。大挙して押し寄せる曹操軍に対し、一騎で 長坂橋 ちょうはんきょう に立ち塞がると「我こそは 燕人 えんひと 張飛。誰ぞ勝負するものはいないか」と一喝します。橋上のため多勢で襲い掛かることができない曹操軍の兵士たちは、張飛の迫力に呆然と立ちすくみ、刃を交えることなく退却し、張飛は劉備軍を救いました。

『旅の絵本』シリーズ 1977年(昭和52)~ 福音館書店

馬に乗った一人の旅人が、町や村、そして海を渡りさまざまな国や地域を旅するシリーズです。自然の風景や人々の暮らしが丁寧に描かれ、各地の歴史や文化などを垣間見ることができます。また、有名な物語のワンシーンが随所に盛り込まれるなど、安野氏の遊び心も満載となっています。

1977年(昭和52)の中部ヨーロッパ編以降、Ⅱ(イタリア編・1978年、改訂版・2006年)、Ⅲ(イギリス編・1981年)、Ⅳ(アメリカ編・1983年)、Ⅴ(スペイン編・2003年)、Ⅵ(デンマーク編・2004年)、Ⅶ(中国編・2009年)、Ⅷ(日本編・2013年)の8作品が現在まで発行されています。

本展では、Ⅱ(改訂版)~Ⅷの中から14作品を紹介いたしました。

ビッグベン
『旅の絵本Ⅲ(イギリス編)』
津和野町立安野光雅美術館蔵 ©空想工房

作品解説③ ビッグベン『旅の絵本Ⅲ(イギリス編)』

ロンドンを代表する観光名所、通称ビッグベンを描いた作品です。大きな時計塔は、イギリスの国会議事堂(ウエストミンスター宮殿)のシンボルとなっています。

パレードの前を行く一団は、スコットランドのバグパイプの楽団です。

実は、ピーターパンも描かれています。これは、ロンドンの公園にある銅像から抜け出してきたというアイデアであることが、本書の巻末にある安野氏の解説に記載されています。

馬に乗った旅人がどこに描かれているのか(掲載作品の旅人は下馬しています)、ピーターパンのように、作品に込められた安野氏のメッセージを見つけることも、旅の絵本を楽しむ要素といえます。

安野氏の故郷である島根県・津和野町立安野光雅美術館の全面的なご協力を得て実現した本展は、「馬」をテーマに安野氏の作品の魅力に迫る原画展であり、会期中は幅広い層の安野光雅ファンをはじめ、多くのお客様にご来館いただきました。

91歳を迎えられた今もなお、高い創作意欲を持ち続け、精力的に活動されている安野氏。折しも、本年は日本とデンマークの国交樹立150周年という節目の年にあたります。歴史絵巻に描かれる武将や豪傑たちとともに活躍した馬、世界各地の人々の暮らしや風景に登場する馬などの“名馬面”をご紹介した本展が、デンマークを代表する童話作家の名を冠した「国際アンデルセン賞」の受賞者・安野光雅氏の世界と皆様を結び付けるきっかけとなれば幸いです。

執筆:馬の博物館 学芸部 伊丹徳行